OECD(2016)『学びのイノベーション―21世紀型学習の創発モデル』明石書店
OECDによる教育とイノベーションの研究
学校教育と教育実践は改善が日々求められているが、抜本的改革(イノベーション)を起こすには一体どうすればいいのだろうか。そんな疑問からOECDによるILE(Innovative Learning Environments)プロジェクトがはじまった。そのプロジェクトの準備段階でまとめられた本書『学びのイノベーション―21世紀型学習の創発モデル』は、学びとイノベーションに関する初期の研究報告であり、主に学習科学研究から得られた知見が整理されている。
この書籍紹介では、最初の第1章だけを詳しく紹介してみよう。第1章は各章の主張が盛り込まれているので本書の関心を知ることができる。ちなみに、多くの人が執筆に関わる報告書では章間があまり関連しない場合が多いので、魅力的なタイトルから読み始めるとよい。
ILEプロジェクトの経過 | 報告書 | 邦訳 | |
メキシコの探索的研究 | OECD(2008)Innovating to Learn, Learning to Innovate. | (2016)『学びのイノベーション―21世紀型学習の創発モデル』明石書店 | |
2008年~2010年 | 第1段階: 学習研究 | OECD(2010)The Nature of Learning: Using research to inspire practice. | (2013)『学習の本質―研究の活用から実践へ』明石書店 |
2009年~2012年 | 第2段階: 事例研究 | OECD(2013)Innovative Learning Environments. | (2023)『学習の環境―イノベーティブな実践に向けて』明石書店 |
2011年~2015年 | 第3段階: 実装と変化 | OECD(2013)Leadership for 21st Century Learning. etc. | (2016)『21世紀型学習のリーダーシップ―イノベーティブな学習環境をつくる』明石書店、他 |
本書のおすすめ
・学習科学に興味がある方
・教育のイノベーションに興味がある方
・学校教育と、政策や生涯学習などの周辺分野との関連性に興味がある方
第1章「イノベーティブな学習環境の模索」の要約
現在の学校教育の姿は、効果的な教授学習研究から得られた知見(そこで要求されている学校教育像)からはほど遠い。
PISAの調査結果はそういえる根拠を示している。PISAで測定される読解リテラシーの習熟レベル3(適度に複雑なテキストの理解と解釈ができるレベル)を満たす若者が3分の2以上いる国は、OECD諸国の中で5つしかなく、OECD諸国全体の16%の生徒が、問題解決における状況分析や情報収集ができない、「場当たり的な問題解決をする劣った人物」(p.36)である。多くの若者が21世紀型知識基盤社会への準備が足りていないうえ、PISAでは測定していないが、社会で求められる能力の獲得はなおのこと遅れている。
そのような現実と理想の距離に気づかせてくれたことが、学習科学の貢献でもある。21世紀では、モノを製造し供給する産業基盤型社会から、知識と情報を生産し流布させる知識経済型社会に移行していく必要がある。汎用性の低い「表面的な知識」ではなく、活用性の高い「深い知識」を学ぶには、その道のプロとして働く知識ワーカーたちと同じような環境と、生涯学習者としての強い自覚のもとで学習活動に従事するべきだと主張したのが、学習科学者たちであった。
「知識は単に学習者の頭の中で静止した精神構造などではなく、知るということはつまり、その人、ツール、その環境にいる他者を巻き込むプロセスであり、その知識が応用されていく活動なのである。」(p.37)
コンピテンスや能力については、経済の話から切り離して議論したがる人もいるだろう。しかし、「協力、分析、創造性、起業家精神、イノベーションのための能力を求める声」(p.38)は、「社会的・文化的・個人的な目標」(p.38)と一致しているのが現実であり、経済の議論を考慮せざるをえないのである。
学校教育にイノベーションが起きない原因の1つに、ナレッジ・マネジメントの漸弱性がある。ベテランの教師から若手の教師に専門知識を伝え、教師どうしで知識を共有して学校改善や授業改善に励むことは重要である。このように「教育は明らかに知識ビジネス」(p.39)であるにもかかわらず、専門知識の大部分は暗黙知のかたちで「ベテランの背中をみて学び」、教師間で知識を共有する機会はあまりない。教育分野への研究開発(R&D)はかなり制限されており、学校は知識を共有・生成・活用する仕組み(ナレッジ・マネジメント)が整備されていない。ナレッジ・マネジメントを加速させるイノベーション・ポンプ(効果的に運用するべきだが解決に時間がかかる課題)には次のような観点がある(p.40)。
①科学に基づくこと:現場は研究知見を利用せず、利用すること自体に文化的抵抗を示す
②組織の水平的関係を広げること:教師間、教室間、学校間で知識を共有することには多くのメリットがあるが、共有を促すメカニズムがよく分かっていない
③モジュール式の構造を活かすこと:学校や教師は、個々の果たすべき役割や作業をこなしてはいるが、それらを有機的に組み合わせたり調整したりして豊かで複雑な教育システムの構築するには至らない
④ICTを活かすこと:ICTには多くの期待が寄せられているが、学校や教師のこれまでのやり方とのあいだに抵抗が生じている
学習環境の再デザインに向けて、3つのアプローチが考えられる。1つ目は、イノベーションと各種研究結果・理論を結びつけ、学習が上手くいく原則を探し出して、実践のかたちを浮かび上がらせることである。学習科学の知見(第2章)から読み取れる効果的な学習環境の条件には、次のようなポイントがある(p.41)。
①1人ひとりにふさわしい(カスタイマイズされた)学習をおこなう
②様々なところから知識を得る
③子どもたちが学び合う
④子どもの側に立つカリキュラムを開発する
⑤教師は教科を深く理解し、即興的な対応力を有し、高度な研修を受ける
⑥カスタマイズされた学習に見合うアセスメントをする
また学習科学(第3章)では、イノベーティブな実践を分類するための軸が提案されている(pp.43-44)。
①「教師による直接伝達型の指導」か「子ども自身の協働に基づく探究」か
②「アイデア重視」か「アクティビティ・アクション重視」か ※アクティビティを重視しすぎると他の学習時間が奪われる
③「個人重視」か「コミュニティ重視」か
④「デザインモード重視」か「信念モード重視」か ※信念は「こうすべき・思いや願い」、デザインはアイデアの有用性や妥当性等を重視
⑤外的制約の適性バランスの調整 ※イノベーションの実現をどこまで妥協するか、たいていは提案当初のイノベーションの完全性を諦めざるをえない
2つ目は、従来の学校の標準モデルとは一線を画したオルタナティブ教育から学ぶことである。オルタナティブ・スクール(第4章)は、公教育の教授学習に多大な衝撃を与えている。学習者は個々のニーズと関心のもとに学ぶことができ、感性にも配慮した自由な学習環境と学校内外の幅広い学習リソースを活用でき、メンターや学習プロセスの支援者として高い診断スキルを持った教師のサポートを受けることができる。こうした教育観、学習環境、教師観、自由で教科横断を意識したカリキュラム・デザインは、アセスメントの方法や文化のありようも変えていく。
3つ目は、すでにイノベーティブな実践をしている事例から学ぶことである。草の根のローカル・イノベーション(第5章)は、教育実践全体を改革するヒントを提供してくれる。そのヒントには次の3つがある。国家は「個人の私生活」と「非個人化された公共機関」をつなぐ「中間的参加チャンネル」としてのコミュニティや人々の役割を奨励するべきである(p.48)。
①状況に埋め込まれたペダゴジー:状況特有の文化やコミュニティに適したやり方と考え方で、教育実践がおこなわれる。そこで排除される生徒はおらず、文脈に即した教授法(ペダゴジー)には地域とのつながりも利用する。
②カリキュラムジャスティス(curriculum justice):カリキュラムは「不当に扱われた人々の経験や文化的習慣を反映する教授法と内容」(p.47)を含んでいる。
③民主主義の教授学習:「少数民族や個人の威厳と権利」(p.48)に関わるが、生徒やその家族にとって身に馴染む文化的習慣となるように、教授学習がおこなわれる。
これまでOECD諸国でおこなわれてきた改善の多くは、官僚主義的体制や、工業化社会と同じ管理方法論の教育パラダイムを補強している(第9章)だけで、システム全体が抜本的に変わることはなかった。官僚主義的教育モデルは決して頑固というわけではなく、その場その場で順応するような「特殊な柔軟性(レジリエンス)」をもっている。「システムとは、暗黙のうちにそれ自体のデザインの完全性を維持するように調節されるものである」(p.55)。けれども「探究、相互作用、情報流通などの活動範囲を制限してしまうので、学習可能性を制限する境界を生み出してしまう」(p.56)。また、学校教育は社会からの要求に応えるために、子どもを「社会化」させようとする。こうしたことがイノベーションを阻害する大きな要因となっている。
この順応能力(レジリエンス)は壊されたり避けられたりするのではなく、イノベーションが起きるように上手に利用されるべきである。日夜さまざまに試される改善は、確立された秩序を壊しにかかっているのではなく、イノベーションの基礎だという主張もある(第8章)。別な言葉に直すと、イノベーションは「実用的なニーズや問題に応える運営上のプロセス」(第7章)として理解されるべきである。
目次
第1章 イノベーティブな学習環境の模索
第2章 学習を最適化するということ:学習科学研究の意味
第3章 研究に基づくイノベーションに向けて
第4章 オルターナティブ教育の貢献
第5章 状況に埋め込まれたペダゴジー、カリキュラムジャスティス、民主主義の教授学習
第6章 学習環境の構築:メキシコの予備的フェーズからの教訓
第7章 どうすればイノベーションが現場でうまく機能するか
第8章 イノベーションのダイナミクス:なぜ生き残り、何が機能させるのか
第9章 オープン型の学習:システムを推進力として教育イノベーション
付録A メキシコの4つの事例研究の概要